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ひどいこと、言わないで [雑記]

よくない言葉を使うことは、よくない。


確かに、某Mリーガーは、


所作はよろしくないだろうし、


麻雀のステージもまだまだ途上だ、と思う。


みていてそれを不愉快に感じるひともいるだろう。


けれど、ネットやツイッターでのコメントには


心無いものが、多い、と思うのだ。


彼らは、プロなのだから、


打牌や所作には責任がある。


それを批判されることには、


それは仕方のないこと。


だ、けれども、ちょっと


エブリバディ、批判がひどい、と思う。


その使っている言葉が、よろしくない、と。


;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;


自分も注意をしなければならないことだけれど。


ネットは公共の場。


マナーが大切。


ネット上は安全だ、とタカを括り


偉そうに他人を批判することは、


とても見苦しい。


優しくなくて、残念な気持ちになる。


「言いたいことがあるなら、直接言うべき」


だし、直接言えないのであれば、


「言葉を選ぶべき」。


ネットやツイッターで、


自分の言いたいことだけを言う。


相手を傷つけていることや、


その書き込みをたくさんのひとが


みていて、不愉快な思いをするひとがいる、


なんてこと、考える習慣がない。


これは最強に卑怯で、


こういう感覚はイコール「いじめ」だ、と思う。


ひどいこと、言わないで。


何が嬉しくて、何が悲しいか、なんて


人間ならわかるでしょ?


憲法で保障されている「表現の自由」は


分別のある「人間」の権利。


不当な権力から、人の想いを守るたけの権利。


けれど、これには、この権利を行使するためには


「自分の発言には自分で責任を取る」


この意識が絶対条件だ。


ジャーナリズムが、最強の力となりうる理由は


この覚悟のうえに、発信される想いだから。


「自分の発言」に「責任」を持たなくても


安易に情報発信できるネット社会は


やはり、どこかいびつな感じがするのだ。


言葉こそが、人類の叡智がもたらした最大の文化。


この用い方がそのひとの真価。


やさしくない言葉で、ひとを死に追いやることも


できるということ。


できるだけ、「やさしいことば」を重ねたいものだ。



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どうせ、賭かってないのだから。 [雑記]

麻雀をへんに勉強してしまって


めくりあいの楽しさなんてもの


久しく忘れてしまってる気がする。


テンパイを大事に、突っ込んでみたとして


それで、少し違う麻雀を知ることができるかも。


魔が差した、というやつだろうか・・


 ::::


「東ラス 37000点持ち!


入られますか?」


持ち時間も少なく、打てて3回かな?


と思っていたので、


こころよく卓に入ります。 


途中からのゲームであったとしても!


そこからは、ワイのターン!


ちゃんと打つでござる。


トイメンの若者。


嬉しそうにリーチを打つ。


めいっぱい麻雀を楽しんでいる。


一発目の彼のツモ。


三ワン。


「うをっ!」


みたいな感じでツモ切る。


むむ。


これは、マンズ待ちの可能性大!


マンズは切れないよね。


こういう「ツモってくる牌への反応」は「ない」


に越したことはないけれど、


若者もわざとやってるわけじゃない。


そういうところも合わせて


楽しんじゃえ。


巡目がすすむ。


全体の捨て牌。


4人分の捨て牌を一枚の絵のようにして眺める。


むう。


マンズの上だけがえぐり取られている・・・


そんな感じの様子・・・。


先制若者リーチの通っていないマンズは・・・


五 八!


六 九!


この二つ。


終盤。


若者のリーチに上家が五ワンをお切りになった。


2分の1!


2分の1を押したんですね?


そういう感じが楽しい麻雀なんすね!


オケイっす!


で、その同巡。


五七九334455⑥⑥⑦⑧⑨


3ソウを引いて、このテンパイ。


残りのツモは2つ。


若者先制リーチの待ちは六九に確定。


マンズの上が高い場の状況。


上家が五ワンを切った理由。


五七九334455⑥⑥⑦⑧⑨


それらを考えると五ワン切りダマだ。


八ワンが牌山に残っている可能性は、限りなく低い。


リーチ棒を出すこともデメリット。


残り2巡とはいえ、若者と上家の横移動もある。


・・


このまま、ダマとか面白くないな・・・。


やさぐれた気持ちが首をもたげる。


てんぱってるんだし、もうリーチでいいんじゃね?


どうせ、振り込んだって、ノーレート。


財布から出ていくのは、ゲーム代だけだもん。


痛くも痒くもないんだし。


遊びだろ?ゲームだろ?


じゃあ、楽しけりゃいいじゃん。


3軒リーチ、めくりあいのほうが、楽しいじゃん。


そんな思考がしっかりと脳内をよぎる。


まだ、親番もあるしね。


おまけの感情もついてくる。


五ワンを切ってリーチ!


場が緊張感に包まれる。


これよ!これこれ!


そうして、もう一度全体の河を見る。


マンズの上。


マンズの上。いるはずない・・・


七九334455⑥⑥⑦⑧⑨


一発目のツモ 六ワン


「あ!」


当然トイメンにささる。


ダマにしていたら、さすがに止める牌。


結局、その半荘は、3着。


その次の半荘も3着。


賭けてたなら、5000円くらい払うことになっていた。


ノーレートだから、ゲーム代800円で済んだ。


ああ、よかっっ・・


・・・・・


良くない。


良くなかった。


今週のマガジンの「はじめの一歩」くらい


「やってはいけないこと」をやってしまった。


まず、ゲーム代800円


これは、完全に無駄になっている。


だって、自分が打っていたものは、


自分の気持ちや麻雀をおもちゃにした「矛盾」


ポンじゃんゲーム。


時間2時間。


これも完全にどぶに捨ててる。


そして、一番大切なこと。


麻雀と同卓者を貶めている。


どんなことがあっても、


ふわふわした気持ちで、いい加減なことをしてはいけない。


そんなことわかりきっているのに。


賭けてないと、ちゃんと打てない。


痛みがないと、ちゃんとできない。


これは、「ちゃんとしてない」ことの何よりの証拠だ。


この場の状況が、マンズの上が残っていそうで、


他家の待ちがマンズではない可能性がある、というのであれば


ハナシは違う。


実際は、マンズの上が残っていなそうで


先制リーチの待ちが、ほぼマンズだ、とわかっている、


という真逆の状況。 これを裏切る打牌は


対人頭脳ゲームである麻雀とは言えない。


もう30年近く昔の話。


自分が、麻雀を覚えた昔は、ノーレートなんてなかった。


賭けない麻雀なんて、なかった。


負けて心の中で泣きながら、お金を払ったし


勝って、卑しい気持ちで財布にお金を入れた。


しみついている。


だから、どこまでいっても、こころのどこかで賭ける麻雀への


置き換えが行われる。


まるで、呪いのように。


賭け麻雀を知らない人たちがうらやましい。


賭けないとちゃんと打てない。


は、


お金をもらえないと働かないよ~


罰を与えられないと、働かないよ~


とか言うのと似ていて


非常に、下卑ている、と思うのだ。


麻雀を舐めている自分を


心底睥睨しながら、


「ちょっと、麻雀牌に近づけない」


そんな気持ちで目を閉じ、瞑想するばかりだ。


ちゃんとしないと!


と思わなくても


ちゃんとできるように。


そうならないと、


きっとどこまでも、どこまでも、


偽物のままなんだ、と思う。


 



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嫌われないってむつかしい。 [雑記]

どんなに成績がよかろうが、


たくさんの知識を備えていようが


「あのひととは打ちたくない」


そう思われたら、おしまいだ。


悲しいことこのうえなし。


だって、「打ちたくない」っておもわれちゃうんですよ?


もうそれは、救いようがない悲しい世界。


自分も注意しなければ、と思うことひとしきり。


つかさ会の参加者の「矛盾」だけは看過しないように、


それだけは、注意しております。


だって、言ってることと、やってることが違う、っていうのは


それは「麻雀」になっていない、と思うから。


返せば、その人のなかで、ちゃんと説明がつくのであれば、


何を切っても構わないと思う。


東、南、北とさらしているところに、南を切っても構わない。


説明がついて、自分の中で矛盾がないなら。


では、


どういうひとが嫌われちゃうか?


マナーがドイヒーとかいうのは、もう当たり前に嫌われちゃうとして・・・


(中には、麻雀がドイヒーでも、人柄がよくて愛されちゃう人もいます)


1、えらソーなひと。


→麻雀をどれだけ知っているのか、


とにかく、麻雀強ければえらい、と勘違いしている人。


麻雀はおもいあがらないこと、そのことが難しいゲームだから


これは注意したいですね。


本当に。


注意します。ええ。


2.自分ちゃん


→世界は自分のためにある、と勘違いしてしまっている人。


きっと、よく思われていないのは、麻雀だけではないはず。


こういうひとたちが、だいたい「こころない身勝手な見逃し」とか


かましてきます。


でも、麻雀は基本自分本位なゲームだから、これも結構大変。


場の状況>手牌を習慣つければ、「自分ちゃん」は治る、と思う。


3.うまぶりキング


 これが、一番最悪だ、と思います。


自分が「うまい」「麻雀くわしいんやで」と


見苦しいくらいカンチガイしているひと。


自分より、拙いと思う相手を見つけると、


その所作のアラを探して攻撃してきます。


とくに、若い「うまぶり」が年輩の昭和雀士に


えらそーに講釈たれていることは本当に不愉快。


店のスタッフでもないくせに


よくもまあ、同卓者に、うまぶれるなあ、と


驚きを禁じ得ないです。


ちなみに、本当に打てる方っていうのは


同卓者を不快にする行為はしないし、


基本おだやかでホントウに謙虚です。


うまぶり=麻雀がわかっていない


ということだと思うんです。


麻雀が達者になると、「麻雀」の熟達度だけでそのひとを


はかろうとする。


これは、「自分はバカです!」


と駅前で叫んでいるようなもの。


「麻雀」はそのひとの一部。


大切なことは、そのひとの「麻雀」ではなく


そのひとの「麻雀への姿勢」。


大切なことはそのひとの「麻雀」の結果ではなく


そのひとの「麻雀の内容」。


たかが、麻雀。


されど麻雀。


おろそかにせず、大切に重ねたいものです。


そうすれば、いつか


「麻雀を通しての信頼関係」が生まれますから。


嫌われないように心がけて、嫌われない、のではなく、


あるがままの麻雀で、嫌われないようになりたいものです。


そのためには、まず、他人の麻雀を大事にすること。


これが、簡単そうに見えるのだけれど、実はとても難しい。


自分に言い聞かせながら、


麻雀が「対人ゲーム」であることを


「対人ゲーム」である価値を大事にしていきたい、


と思うのです。


        



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ツキとか、流れとか。 [雑記]


麻雀の勉強。


これを重ねれば重ねるほど


運、とか、ツキとか、そういうことを重視することに


背徳感を感じる。


理由は簡単。


根拠がないからだ。


1回和了したから、次の和了できる!


Aさんとのリーチ合戦は勝てるから、


そこには、全ツっ!ぱ!


そういう風に感じることはしょっちゅう。


マンズの下が強い、


そういう展開が続くから


ちょっとマンズは大事にしてみようか、


とか、そういう風に感じることも、しょっちゅう。


それを、「感性」だ、


とか、そういう言葉で片づけてしまうと


麻雀がつまんない絵合わせゲームになってしまう。


なので、そういう「流れ」で打牌を選択するとき


っていうのは、


考えて考えて考えつくして


「人事を尽くして天命を待つ」


状態になるまで、考えて


それでもどうしようもないくらい


優劣がつけがたい選択肢に出会ったときくらい。


マンズの下と、ピンズの下。


どっちも等価値。


どっちを外そう?


ずっとマンズの下の和了が続いているから


マンズを大事にしてみよう!


とか、その程度。


ツキとかいうのは、天気みたいなもの。


晴れた日があれば、雨の日もある。


和了が続くときもあれば、


振り込みが続くこともある。


晴れていようと、雨が降ろうと


やるべきことは、変わらない。


雨の日だからこそ、


味わうことのできる情緒もあるように、


ついてないからこそ、


味わうことのできる


麻雀の妙味もある、と思うのだ。





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