ノーレートの魅力
私見です。
麻雀の打牌を選択するときに、選択肢は多いほどよい、と考えます。
局面における選択肢の優劣の精査をいかにノータイムでできるか?
これが麻雀の戦いであり、結果はさほど重要ではありません。
乱暴なものいいてすが、中身が希薄でなければ、
結果にとらわれることはないのでは、とまで思います。
勝てば嬉しい、負ければ悔しい。
そうおっしゃる方は多いですが、果たしてそうでしょうか?
麻雀はそんなつまらないゲームではないと、常々思います。
結果がでないとして、その理由を考えることに価値があります。
結果が、でているとして、その理由を考えることに価値があります。
麻雀は過程にしか価値がありません。
そしてこれはノーレートだからこそ出来る事です。
見栄を張る必要はないし、勝つことだけを目指す必要もない。
トップより価値のあるラスもあるし、
全く価値のない、トップもあります。
成績をみるにしても、そこから慮ることは対局の内容です。
どういうラスなのか、どういう内容のトップなのか?
重い打牌を重ねていれば、必ず
説得力のある「勝ち負けに囚われない強い麻雀」にたどり着くことができます。
「一打の理由を原稿用紙3枚は書けるようになりなさい。
そしてそれを考えなくても実戦で応用できるようになりなさい」
これが私の師匠の言葉です。
考えて考えて考え抜いた結果、考える必要がなくなる。それが麻雀の努力です。
自分で考え、1つ1つ経験を重ねてゆく。
そこに金銭や運の介在する余地はありません。
大切なことは、何を思い、何を想い、何を重ねたか、です。
史上最大のへっぽこ [雑記]
自分のドラより他人のドラ!
自分の手牌ではなくて、他家の手牌を考えよう!
いつも、それを心掛けていたはずなのに・・。
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とあるオーラス。
親番の私は、トップ目から5800を和了すれば逆転トップ。
ドラは七ワン
こんな形
一二九九①②③123899
ここに八を引いて11,600が見えたけれど
場に3枚も飛んでいる七ワンと心中はしたくない。
場も煮詰まっているし
仕掛けて5800でやむなし。
場には四ワンが4枚。
一ワンが1枚。
マンズの下はチョー安い。
マンズの下でテンパイを取ることができたのであれば
ほぼ、勝ち確定であろう。
トップ目から直撃がとれたならば御の字だ。
八ワンをツモ切る。
上家から7ソウがうたれたのでチー。
うっほほーい。
勝った。勝ったぞ!
一二九九①②③ 123 チー789
ツモ一ワン
一一二九九①②③ 123 チー789
ここで、二ワンを切って
一一九九①②③ 123 チー789
このテンパイに受けて
5800を2900にする理由はないよね。
牌の動きは、「一ワンで和了しなさい」って言ってるようだけれど
「そんなオカルトありえません!」。
一ワンツモ切りで!
下家からリーチ。
下家の河に三ワン!
対面トップ目は受けている様子。
いずれ、三ワンはトップ目からナデコダヨーと
飛び出してくる牌だよ、きっと。
ツモ一ワン
一一九九①②③ 123 チー789
このテンパイにしていれば和了できていた。
やっぱり牌は、一ワンで和了しなさい、と言っている様だ。
だからといって、いまさら このフリテンの
一一九九①②③ 123 チー789
2900になんか戻れるわけがない。
一ワンツモ切りで押します。
一二九九①②③ 123 チー789
これで、なおのこと三ワンがでやすくなった。
現在一四ワンは、一ワン2枚、四ワン4枚が河に落ちている。
ラス目の上家が、突然リーチ。
二ワン手出しのリーチ。
わたくし、またしても一ワンツモ。
四枚目の一ワン。
うわー!どんだけ一ワンで和了させたいんだよ~!
一二九九①②③ 1238 チー789
なんで三ワンじゃないんだよ~!
深く考えずに、深く考えることが間に合わずに
一ワンをそのまま切ってしまい、
ラス目上家の一四待ちにつかまってしまう。
ありえないですね。
二ワン手出しのリーチに、都合4枚目の一ワンを切る。
二ワンが単独孤立牌でない以上、90パーセントくらいの確率で
一ワンはぶち刺さります。
二二三 からの二切り。
もしくは、
二三三 からの二切り。
ここでの一ワン切りは、自分が和了したい気持ちばかりの暴牌。
他人には、自分の手牌都合より場の状況、などと
さんざんお話しておいてこの有様。
ええ、ひどい内容。
ひどい。
こういうときに、四枚目の一ワンに対する
「準備」ができていないことが、そもそも力が足りないのだ、と。
いつも、「他家のことを中心に打牌を組み立てること」が
ちゃんとできていたのであれば、打つことのない一ワンだ。
もちろん、この一ワンが和了される可能性を精査できていたうえでの
打一ワンであれば、何の問題もない。
いつも、自分の手牌は「世界の一部」だ、と鳥瞰できる習慣。
麻雀も、人生も、自分のことしか見えなくなると
だいたい悲しい結末を迎えるのだ。