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おかねのちから


「レートが乗ってたほうが、ゲーム代の


負担は少ないし、内容もひどくない」


レートを乗せてそこそこの成績であれば


麻雀を打てば、どのみち出てゆくゲーム代の負担も少なく


お金がかかっているから、余計な講釈もなく


ひどい打牌も少ない。


ということらしい。


確かに、ノーレートでなめた麻雀を打たれると


死にたくなる。


時間も想いも全て笑われている気がして。


一生懸命打てば何の問題もないのだけれども。


「どうせかかってないんだから!」


麻雀にそんな風にとり組めるヒトは


きっと何に対してもそんなカンジなんだと思う。


「どんなときでもちゃんとしよう」


とは思わないヒト。


「かかっていようが、かかっていまいが


おんなじ麻雀じゃん。ちゃんとやれ!」


と思う。


どんなときも。


そうしないとね、


ちゃんとしてないとね、


あとで、


人生の最後のほうで


ちゃんとしとけばよかったって


死ぬほど後悔するんだよ。


だから、大切にしないと。


テキトーにしてよいことなんて


ひとつもない、と。


テキトーにして後悔しないことなんて


ひとつもない、と。


現在本当に、痛感してる。


ノーレでも、オンレでも


テキトーに打ってるヒトとは


打ちたくない。


人生の時間が勿体無いから。


オンレならノーレより、ちゃんと打てるから


やむなく賭け麻雀打ってるヒトもいるんだろな。


なんか悲しいな。


どんなときも、たいせつに。


簡単にみえて、とても難しい、


これが今年も目標かなあ。















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邂逅の価値

「みんなわがまま。わがままさ」


お金を賭けない麻雀で、テキトーな牌を

押されたり、ナメプな見逃しをされたりすると

サイコーにシラケて、二度とそのひととは

打ちたくなくなる。


わがままさ。


お金を賭けて打ったとして

「なんでおれ、金賭けて打ってるんだろ?

麻雀でお金が欲しい訳じゃないのに。

お金を賭けないとちゃんと打てないメンツ

と打っても、どんどん気分が下卑ていくわ」

つまんねーな。


わがままさ。


麻雀は実は恐ろしい位「平等」で、

「真実を写す鏡」。

自身のステージに合わせた卓でしか

打てないようになってると思うのだ。

最近本当にそう思う。


つまんないノーレートしか打てないなら

それは、自分のステージが

「つまんないノーレート」だ、ということ。


金賭けないとちゃんと打てないメンツしかいないなら

自分がそういうマモニズムステージだ、ということ。


ウマぶり連中が集まってくるなら、

自分が「ウマぶりくん」だということ。


結局、他人に文句言ってるのって

自分に文句言ってるのと同じさね。


だから、どんなときでも、

ちゃんと自分の打ちたい麻雀を

しっかり打とう。

どんな相手でも、どんな時でも。

それが、ひどい内容なら

自分の力不足だ。

そしてちゃんと打てないなら、

「打たない」こと。



どんな悪路も乗り越えて

辿りつけるゴールだから

きっと意味がある。


つかさ会の品質が下がるのであれば、

それは、参加者の責任ではなく

自身の「麻雀への情熱の翳り」のせい。


幾星霜


せっかく、麻雀を通して巡りあえた

大切な人たちとの偶然のいくつかに

大きな意味を持たせることが

できるように。


粛々と麻雀に臨みたい。








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