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麻雀は悪くない [雑記]



おはようございます。


つかぴょんです。


「お金を賭けなければ、麻雀を楽しめないひと。」


のせいで、また麻雀のイメージが悪くなる。


緊急事態宣言耐えに耐えてる


麻雀業界のこと、考えて欲しい。


あともう少しで、解除。


さあこれから新しい麻雀文化を


ってときに


夜明け前になんてことしてくれやがるんだ!


今回の黒川検事長の麻雀賭博の件。


彼は、麻雀を打っていたのではなく


博打の道具として麻雀を使っていただけですから。




現代の麻雀は


「お金を賭ける必要性が理解できません。


お金が欲しいなら働けばいいじゃないですか。」


というステージにシフトしてきているのに


本当に迷惑だ。


「お金を賭けなければ、麻雀を楽しめないひと。」




「お金も賭けて麻雀を楽しみたいひと。」


これは全く違うと思うのだけれど


「麻雀は博打」だというイメージが強くて


「趣味は麻雀」というと、もう賭博常習みたいな


扱いを受けちゃうことが多い。


「お金を賭けないと麻雀が打てないひと」


は、麻雀が好きなのではありません。


博打が好きなのです。


それに、お金を賭けて打っている自分が好きだのだ、と思います。


賭ければ、なんだって楽しい。


ジャンケンだって10万賭ければ


チョードキドキします。


「お金を賭けなければ、麻雀を楽しめないひと。」
は賭博が好きな人で、それもう価値観の問題だから、
ちょっと置いておいて
「お金も賭けて麻雀を楽しみたいひと。」
は、お金を賭けなくても麻雀は楽しい、ってことを知ってほしい。
麻雀は、賭ける必要などない、優れたゲームだ。ということ。
例えば、バスケでリバウンドを取れた日なんて
1円にならなくても、1週間くらい嬉しいし、
上手にイラスト描けた時なんかも
1円にならなくても、鼻歌でちゃうし、
好きな趣味に全力で挑んでいれば
お金という対価は必要ない、ということは
きっとみんなも知っている。
「麻雀ってお金を賭けなくても楽しいんだね。」
と、いう言葉をいただく度
「でしょ、でしょ」って思う。
麻雀を楽しむには、麻雀と真剣に向き合う姿勢が必須。
でも、麻雀ほど面白いゲームに
真剣に向き合えない人間なんているはずがない。
そもそも真剣に向き合っている事柄ついて
お金で責任がとれるわけがないですから。



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高得点になる手組み「食い仕掛けのレシピ」 [雑記]


こんばんは。


デバサイの「食い仕掛けのレシピ」のお時間です。




チー!


ポン!


「おう!にーちゃん!チーポン、チーポン


うるせーのう!


男なら黙って打て、黙って」


ロン 2900です!


「なんや、にーちゃん。そんな小銭拾って


楽しいんかい?しみったれとるのう。


男やったら、もっとどでかい手役を狙わんかい!」


おっさん達は、だいたい仕掛けると不機嫌になります。


これは、


食い仕掛けは「面前でたてる根性がない奴」がすること。


と完全に勘違いされているからですね。


確かに仕掛けると安くなることが多いですが、


大事なポイントを2つ押さえておけば、


どんな仕掛けでも、満貫になる可能性は十分にあります。


①ドラ


②複合役


これらの2つを常に意識しながら


短くなった手役の中で、守備も考え


組み立ててゆく。


場の状況の精査を踏まえて


手牌を重ねてゆく食い仕掛けは


間違いなく高等戦術です。


東1局


親番  ドラはハワン


東をポンして以下の形


二四六⑤⑥⑦44789  東東東


ここからでも、11600を見て


打牌選択をしましょう。


ドラ




手役の複合


これをいつもいつも考えていると


いくつもの選択肢が生まれてきます。






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わたしたちのたいせつな麻雀。 [雑記]


おはようございます。


つかぴょんです。


コロナ感染拡大防止の為


緊急事態宣言の期間が延長しましたね。


治療の術がみつかるまでは


やはり様々なことに自粛を続けるしかない。


夜明けを待つのではなく、


現在、この暗闇のなかで、我慢をしながら


立ち上がる術を見つけ出すべきだ、とわたしは思います。


これからは、コロナウイルスと共に「生きてゆく方法」


を見つけ出すしかない、と。


本当に危険なこと、と、そうでないもの、を


精査してゆく作業が必要になってくる。


そうしないで、あらゆる文化を封印自粛してしまうことこそが


「コロナへの人類の敗北」とまで思います。


現在は医療機関へのあまりにも大きな負担があるので、


「コロナとの共存」その方法の実践については最大限の注意が必要。


感染拡大にリスクを孕んでいる検証は、まだ少し先になるでしょう。


ただ、「方法を考えること」はできる。


誰にだってできる。




最大限のリスクを抱えて、感染拡大防止のため最前線で


戦ってくださっている医療従事者様たちのためにも


我々は、「大切な未来」について「必死で考える」必要がある。


そう、現在「考えること」はできます。






コロナ禍での、麻雀の未来について考えてみたい。


「麻雀?」


「麻雀なんか」


「麻雀ごとき」


そういう風に、下層文化として、


虐げられてきた「麻雀」。


「麻雀」を知らない人は軽はずみに心無い言葉を口にする。


仕方がないんです。


だって、彼らは「知らない」のだから。


でも、われわれは知っている。


「麻雀の素晴らしさ」を知っている。


コロナ禍であるからこそ、風評被害を受けてはいるけれど。


「麻雀」。


その秀逸なゲーム性もさる事ながら


最大の魅力は、人と人とのコミニュケーションにある、と思う。


「麻雀というゲームと同卓者への想い」があれば


麻雀を通して、その人間関係は無限に広がる。


麻雀を通して、相手を知る。


麻雀を通して相手の気持ちを知る。


同卓することによって生まれる信頼。


「楽しさ」の共有は、世界中を駆け巡る。


我々は、麻雀を通して


「状況を精査して、最善手を選択する勉強」をしてきた。


だから、なにか方法をみつけることができるはずなのだ。


わたしには、その方法をみつけることができなくても、


麻雀のことをよく知るひとであれば、


びっくりするようなアイデアを発見してくれるかも知れない。


もしかしたら、まったく新しい「麻雀」が生まれるかも知れない。




自分なりに必死に考えてみた。


必要なものはデータ。


「安心できる材料」。


その材料をどのように整えることができるか。


●窓を開ける。


●マスクをする。


●手袋をする。


●発声はしない、挙手で。


●点棒申告もしない。目視指先確認。


「触れなければよい。」わけだから、


この条件下で数ヶ月麻雀を打って


その結果、感染者が発生しているかどうかを調査。


この条件下で、感染者がでる理由は見当たらないはず。


卓をたてることに対するお店側の負担が大きくなるので


ゲーム代金などの単価は大きくあがるだろうけれど、


麻雀を失うよりも、はるかにマシ、だと思う。



こんな程度なことしか、思いつかない。


思いつかないけれど、考え続ける。


考え続けることで、麻雀のそばにいる。



コロナ禍、経営自粛で


瀕死の状態の麻雀店も多いと思います。



こんなことを、私が軽々しく口にするべきではない、とも思います。


けれど、「絶対に麻雀を諦めない」で欲しい。


麻雀を愛しているひと。


「麻雀から離れないで。」


「麻雀を忘れないで。」


どうか、今までどおり


あなたのそばに、麻雀を置いてください。


たいせつなものは、


たいせつだからこそ、


たいせつにできなくなることがある。


そんな悲しいことにならないように。








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