嫌われないってむつかしい。 [雑記]
どんなに成績がよかろうが、
たくさんの知識を備えていようが
「あのひととは打ちたくない」
そう思われたら、おしまいだ。
悲しいことこのうえなし。
だって、「打ちたくない」っておもわれちゃうんですよ?
もうそれは、救いようがない悲しい世界。
自分も注意しなければ、と思うことひとしきり。
つかさ会の参加者の「矛盾」だけは看過しないように、
それだけは、注意しております。
だって、言ってることと、やってることが違う、っていうのは
それは「麻雀」になっていない、と思うから。
返せば、その人のなかで、ちゃんと説明がつくのであれば、
何を切っても構わないと思う。
東、南、北とさらしているところに、南を切っても構わない。
説明がついて、自分の中で矛盾がないなら。
では、
どういうひとが嫌われちゃうか?
マナーがドイヒーとかいうのは、もう当たり前に嫌われちゃうとして・・・
(中には、麻雀がドイヒーでも、人柄がよくて愛されちゃう人もいます)
1、えらソーなひと。
→麻雀をどれだけ知っているのか、
とにかく、麻雀強ければえらい、と勘違いしている人。
麻雀はおもいあがらないこと、そのことが難しいゲームだから
これは注意したいですね。
本当に。
注意します。ええ。
2.自分ちゃん
→世界は自分のためにある、と勘違いしてしまっている人。
きっと、よく思われていないのは、麻雀だけではないはず。
こういうひとたちが、だいたい「こころない身勝手な見逃し」とか
かましてきます。
でも、麻雀は基本自分本位なゲームだから、これも結構大変。
場の状況>手牌を習慣つければ、「自分ちゃん」は治る、と思う。
3.うまぶりキング
これが、一番最悪だ、と思います。
自分が「うまい」「麻雀くわしいんやで」と
見苦しいくらいカンチガイしているひと。
自分より、拙いと思う相手を見つけると、
その所作のアラを探して攻撃してきます。
とくに、若い「うまぶり」が年輩の昭和雀士に
えらそーに講釈たれていることは本当に不愉快。
店のスタッフでもないくせに
よくもまあ、同卓者に、うまぶれるなあ、と
驚きを禁じ得ないです。
ちなみに、本当に打てる方っていうのは
同卓者を不快にする行為はしないし、
基本おだやかでホントウに謙虚です。
うまぶり=麻雀がわかっていない
ということだと思うんです。
麻雀が達者になると、「麻雀」の熟達度だけでそのひとを
はかろうとする。
これは、「自分はバカです!」
と駅前で叫んでいるようなもの。
「麻雀」はそのひとの一部。
大切なことは、そのひとの「麻雀」ではなく
そのひとの「麻雀への姿勢」。
大切なことはそのひとの「麻雀」の結果ではなく
そのひとの「麻雀の内容」。
たかが、麻雀。
されど麻雀。
おろそかにせず、大切に重ねたいものです。
そうすれば、いつか
「麻雀を通しての信頼関係」が生まれますから。
嫌われないように心がけて、嫌われない、のではなく、
あるがままの麻雀で、嫌われないようになりたいものです。
そのためには、まず、他人の麻雀を大事にすること。
これが、簡単そうに見えるのだけれど、実はとても難しい。
自分に言い聞かせながら、
麻雀が「対人ゲーム」であることを
「対人ゲーム」である価値を大事にしていきたい、
と思うのです。
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