掴ませのぴょん。 [つかさ会にて]
今週のつかさ会は日曜日、
12時から本厚木のらくゆうで開催です。
こんにちは。
つかぴょんです。
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こんにちは。
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未来はその手の中に [つかさ会にて]
九ワンを掴んで、そのまま河に置いた。
海底の牌には、魔法がかかっている。
九ワンの美しいフォルムを確認して、
青年は、静かに
「ロン。48000点」
と申告をした。
まるで、そういう台本を準備された役者のように。
彼にとって、人生初の役満だ。
「本当にあがれてしまった・・」
正直、私は驚いていた。
「出来すぎている・・」
そして、私の気持ちも、にわかに勇気づく。
偶然だろうか?必然だろうか?
麻雀というものは、その時は
偶然、とおもっていたことが、
後で思い返せば、ああ、必然だったのかな?と
そう思えてしまうことがある。
本当に人生に似ている。
きっと、この国士無双は、
これから、社会に巣立つ青年への「麻雀」からのエールだ。
努力は報われないし、世の中はそんなに甘くない。
夢など、夢にもならない。
けれど、でも、人生捨てたものじゃあない。
奇跡のような出来事は、実はいつもそばにいて、
その未来を素晴らしいものに変えてくれる。
だから、そのことに、気づくこと感性を大切にして欲しい。
あきらめないで、くさらないで、重ねてゆくこと。
この国士だって、狙わなければ、叶わなかった。
望めば、きっとなんだって叶う。そう思う気持ちは失わないでほしい。
そういう気持ちを、ずっと持って欲しいと思うのだ。
配牌がだめでも、そんなものでは何も決まらない。
そのあと、いかに積み重ねてゆくか?
あきらめないで、丁寧に積み重ねてゆくことができるか、どうか?
人生もそうだ。
与えられたものに、嘆く日があったとしても、
自分の境遇を呪う日がおとずれたとしても、
あきらめないで、重ねてゆこう。
そうすれば、そうあれば、そう生きていれば
無駄ヅモだって、無駄ではないし、
失敗だって、失敗じゃない。
麻雀牌が、
「人生って
そんなに悪くないだろう?」
そんな風に、語り掛けている、そんな気がした。
国士無双 [つかさ会にて]
終盤に南家は白。西家は北を全く抵抗なく切り飛ばしているから
国士はない、そんな空気になっている。
北家のリーチが、「国士4枚目使用済み」だと思わせていることも、
その場を構築している一因だ。
とどめの⑨ツモ切り、そして手出し。
リーチ者の⑥切りを見て切り出したかのような
2枚並んだ⑨が、「国士あきらめた」ようにうつる。
九ワンは残り2枚。
祈ってしまっていることは
残り2枚の九ワンが、残りの牌山16枚の中に
眠っていてくれて、なおかつリンシャン牌に死んでいないことを。
場に2枚とんでいる九ワンは、全てツモ切り。
けれど、七ワンと八ワンは3枚づつで、あと一枚が
全員の捨て牌には落ちていない。六ワンは3枚見えているので、
七八九のターツが、誰かの手の内に組まれている可能性もめっちゃある。
「多分、16枚の中にいるよな・・九ワン・・」
8分の1だ。
南家が、牌を切り出す。
マンズのデザインに心が痺れる。
マンズ・・・よりによって、最後の六ワンだ。
ということは、マンズの上が他の人の手の内に
組まれているとすれば、七八九の可能性が高く、
九ワンはあと一枚である可能性が高い。
シミケンが、ハイテイ牌に手をのばす。
あの牌が九ワンである可能性は、14分の1.
運が良ければ、14分の2.約分して7分の1.
しかも、シミケンが掴むとして、
まあ掴んだとして、その牌は3枚目の九ワンなのだから、
シミケンのシックスセンスが働いて、
「むっ、こりゃやべえな!」
とか、手を壊してしまう可能性もある。
でもでも、シミケンが北家のリーチが、「国士4枚目使用済み」だと
そう読んでいれば、掴みさえすればテンパイのシミケンは
切り出す可能性があるのだ。
「おねがいしゃす!」
またしても、心の中で、奇跡を祈っていた。
ただ、青年の切り出した手出しの五ワンがネックだ。
おりているのであれば、4枚目の字牌を切ることもできるはずの
国士狙いの青年が、何故五ワンを切ったのか?
この五ワンはどういう意味を持つのか?
突き詰めてゆけば、この五ワンは準備された牌だ。
全員に安全な準備された牌。
この牌が場に打たれた、ということは
48000点完成の可能性が高い。
また、リーチ者がいるのに、青年には
国士テンパイを他家に「におわせる」必要もないわけだから。
とはいえ、シミケンよ、きづかないでくれ。
この五ワンの意味と、国士に気づかずに
そのまま九ワンを掴んで振り込んでください、
とご無体なお願いをよろしくお願いしつづけていた。
これからの国士無双 [つかさ会にて]
この時期は、なんかよくわかんないけど人がいなくなる。
当会に11月ごろ、峻烈にデビューして、
おそらく誰よりも多く1000点を仕掛けたであろう
「テンホー7段」の青年。
その青年の対局。
わたくし!観戦させていただくであります!
大丈夫です!眠くないであります!
こういう卒業対局って、毎回必ず奇跡が起こるから。
わたしの最後の半荘は、オーラスの親番
タンピン三色赤々ドラのテンパイで
東を切ったなら、小四喜にぶちささったし。
というわけで、観戦には、それなりの想いもあったりして。
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東2局の親番。
絶好のチャンタ配牌から、国士無双まっしぐらの打②
おいおい、ドラが5ソウなのに、大丈夫なのかい。
せっかくの親番なのに・・・・
どうしたことか、他家、一様に「ツモ切り」が多い。
なんだか、和了しにくくなる電磁波でもでているんじゃないか?
と思えるほど。
けれど、局がもつれまったりと流局のよかん。
一五①⑨19東南南西北白中
残り1枚のツモを残して、発と九ワンのイーシャンテンまでたどりつく。
「ああ、卒業の記念に和了できたりすると、
これから社会へ飛び出す彼にとって、人生の土産になるのだけれど・・・」
と、青年の最後にツモに思わず、私もほんの少し祈りを込める。
青年のツモり方がすこし、おかしい。
もしかして・・・
発だ!場に3枚とんでいる発が南家の仕掛けで飛び込んできた。
「こんにちは。発です。」
四枚目のナイスガイが突然、彼に48000点のテンパイをプレゼント。
五ワンを切ってテンパイ。
一五①⑨19東南南西北発中
北家のリーチに対して強い牌を切らずにすんでいる
青年の国士テンパイはおそらく看破されていない。
残り2つのツモ、下家か南家が、九ワンくんを
ツモッてきてくれたなら、ツモ切りでその牌で国士無双和了がかなうかも知れない。
・・・
とはいえ、世の中そんなに甘くない。
そんなことは、分かっている。嫌になるくらいわかっている。
思い通りになんか、ならない。
そんなことは、年を重ねるに連れて、嫌になるほど思い知らされる。
これまでも、これからも。
社会なんて理不尽で、残念無念の繰り返し。
努力は、むくわれず、誠実さは笑われる。
けれど、頑張れば報われる奇跡だってきっとあるはずだ。
11月から、3月までの短い間ではあったけれど、
彼は彼なりに自身の麻雀を懸命に磨いていた。
厳しいことを言われ、傷つきながらも。
時間が足りなかった。
だから、現地点では届いていないことは多いけれど。
それは、そういう歴史は、本人の心の中にあること。
そのことについては、その足跡に対しては
何か、ひとつくらい、ご褒美があってもいいんじゃないか?
結果なんて、所詮結果。
結果だけで判断することは横着で心がない。
大切なことは、どれだけの熱量を持って事に挑んだか?ということ。
残念な世の中で、信じることができるものは
自分自身で丁寧に小さな努力を積み重ねてゆくしかない。
結果で判断される世界に身を投じることになっても、
自分の自分にしか分らない戦いは、
人知れずそのこと誇りに思ってよい、と思うのだ。
彼の「麻雀に対する4ヶ月」についての答えあわせのような気がした。
残りのツモは2つ。
たったの2つ。
いや、あと2つもある。
「麻雀は、何か彼の想いに報いるべきだ」
私は、はからずも、そう思っていた。
南家の手が牌山にのびる。
私は、けっこう本気で祈っちゃっていた。