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強打について。

牌の扱いは、優しく。

そういう意味でも、ミューのプロの方々は素晴らしく

特に「けいくん超人」のそれは、初めて見たとき

「自分もそうしたい」と思ったほどだ。

特に、ツモッたとき、

その牌が特別というわけでなく、他の牌と同じように

優しく手牌のそばに置く。

牌に気持ちや心があるのであれば、

「こんなに優しくされて嬉しいわ。」

くらいのことは、言ってくれそうな 雰囲気。

牌の扱いは易しく丁寧に。

これが基本だ、と思う。

すなわちこれは、同卓者への思いやりに繋がる。 

そもそも牌は音を出すもの。

打牌の音がしないと打っている気がしない。

これも、その気持ちはよく解る。

けれど、乱暴に叩きつけることはどうだろうか? 

捨て牌を破壊するほどに、牌を叩きつけるヤカラもいる。 

そのつもりはなくでも、

自分がその打牌の快音に浸りたい、

その理由だけで、そんなに乱暴をしてもよいものだろうか?

強打は、それが、強打、と同卓者に思われている地点で、

最低な自己中な行為に成り下がる。

同卓者は、

「こんな人と二度と打ちたくなわ。」

と思うだろうし

牌も

「こんな人の為に、頑張りたくないわ。

無駄ヅモになってやろう。」

そう思っているだろう。

それでは、ダメだ。

では、どうすればよいか。

基本的な牌の切り方を練習することだ。

牌を河に置いてくるイメージ。

碁や将棋のように「丁寧にさす」感じ。 

将棋の駒を叩きつけて、盤上の駒を破壊したり、

囲碁の石を叩きつけて、盤上の白黒の世界を破壊したり、

そんなことって、あり得ないでしょう。

麻雀同じ。 

まず、麻雀牌を買って、牌を数枚ポケットにいれて、

空いた時間にひたすら練習をするのだ。

どうすれば、牌を丁寧に河に置くことができるか?

その所作の結果発生する音を、その動作で調整してゆく。

牌は叩かない。

河に送り届けるもの。

その感覚を持てば、強打とはなりえない

ほどよく適切な打牌の音、となるはずである。

嫌われる麻雀に、その存在の価値はない。

その人柄がどんなに愛されていようとも、だ。

返せば、愛される人柄であれば、勘違いに気づけば

その麻雀も他人から愛され、大事にされるはずなのだ。

大事にすれば、大事にされる。 

つかさ会は、勉強の場所なので、

強打についても、現状は勉強中、だ、という判断です。

強打ではなく、「心地よい快音」となるように努力すればよいだけのおはなし。 

まあ、わたしも人のことはいえませんので、

自戒の念を込めて記事をしたためます。 

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