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とおりやすそうな牌をさがす。 [雑記]


こんにちは
デバサイです。
麻雀は勉強すれば勉強するほど
なんだか自分がとっても偉くなっているかのような
錯覚に陥りやすい危険な部分を持っています。
麻雀を勉強してゆくときに、一番大切なことは
「いい気になって思い上がらない」
これだと、わたしは思っています。
自分はいろいろ知ってるんだから、
あなたなんか、と打ちたくない、などと思わないこと。
どのような気持ちで麻雀と付き合うかは、
本当にその人それぞれです。
一か八かの牌を無作為に切る人もいます。
ツキのせいにして、何もかもおろそかにしている人もいます。
けれど、それは、そのひとの麻雀で
私やあなたの麻雀とはまったく関係のない、ことなのです。
勉強は、自分のために重ねるもの。
その結果、自分も周囲もしあわせになれば、それでよい。
他人と比較したり、他人を貶めたりするする道具ではない、と思うのです。
麻雀においては、思い上がらないことが、本当に困難です。
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さて、麻雀の待ちを一点で読むことはできない。
であれば、捨て牌なんて読んでも意味ないじゃん!
全くそのとおり。
読めないものを読んでも仕方がありません。
これが手出しで、とか、
そんなことをいろいろ考えたところで、待ちは特定できないのですから。
だから、捨て牌は読むのではなく、感じるのです。
ちいさく精緻に考えるのではなく、
大きく捨て牌全体をとらえて感じる。
むつかしいことを言ってるようですが、そんなことはありません。
相手のテンパイを読むのではなく、
相手がなにをやっているのか、を捨て牌から感じる。
その前提で、押し返す局面であれば、
とおりそうな牌をおしてゆくのです。
タンヤオの捨て牌にひとに、19牌はとおりそう。
チャンタの捨て牌のひとに、タンヤオ牌はとおりそう。
ホンイツのひとには、違う色はとおりそう。
コクシのひとには、タンヤオ牌はとおりそう。
チートイのひとは、無視しよう。
絶一門(ひとつの色を使わない麻雀の手組)のひとには
連続系となる牌の横ののびを注意。
など、おおざっぱでいいのです。
ただ、ひとつ言えることは、
捨て牌は、必要でなくなった牌の並び、だ、ということ。
このことを、いつもあたまに置いておくとよい、と思います。
この大前提は、まず、覆りません。
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次週へつづく

 

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