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麻雀たのしす [雑記]

若いフリーメンバーの青年との時間

『麻雀はお金を賭けなければ、強くなれない。例えばピンフリーのお客さんも、下手だけど強い』と。
『麻雀も目的をちゃんと持てば、お金の介在する余地などないよ、楽しいお酒を飲む時に払いを気にしないのと、同じだよ。』
そう、いいかけて、言葉につまる私。もっとうまく伝わる言葉はないだろうか?
しばし、考える。
『つかさ会には、みんな何かを求めて参加してきている』
その言葉を支えに会を運営してきたけれど、その何かって何なんだろう。
プロになるわけでもないのに、勝ったところで一円にもならない麻雀を打って、一生懸命打って。時間を使って気をつかって、それで強くなったところで、いったい何の意味があるのだろう?人生大損だわ。
楽しくわいわい打つのなら、ノーレートフリーのほうが気楽でいいじゃないか?
でもね、理由は、そういう損とか得とかプラグマティズム?なところにはない。
自分が麻雀を打つ理由は強くなるためじゃない。得するためじゃない。 
『楽しいから』
理由は、これ。
みんなと、ワクワクしながら『いっしょに麻雀を打つこと』が楽しくて仕方ないから。
どんなに麻雀が達者でも、『あのひととは、打ちたくない』そう思われたら、本当に終わり。
逆に今はどんなに拙くても『あのひとと、また打ちたいなあ』そう思われたなら、それは、とても嬉しいこと。 
自分のことばかり、ではなくて、同卓しているひとのことや、麻雀のこと、過去の自分の対局、そういうものを大切にする気持ちさえあれば、絶対にまわりもあなたを大切にしてくれます。
『嘘をつかないように、嘘とならないように、矛盾しないように』『他人の話をちゃんと受け止めて』一生懸命打てば、だいたいおかしなことにはならないから。

『お金をかけなくても、楽しいよ』
わたしは、シンプルに青年に答える。
そして重ねる
『お金を賭けないからこそ、本当にちゃんと打たなきゃいけない。お金を賭けないってことは、対局の内容でしか責任をとれない、ってことだから。お金で済む麻雀のほうがよほど気楽だよ』
青年は、すこし考えて
『今度一度参加させてください』
と、顔をあげた。
また、楽しみがひとつ増えた。


ちなみに
私の初ノーレートは、ひろりん師匠との対局でしたが、『負けてもお金を払わなくていいなんて、チョーラッキー!儲け、儲け』そう思ってましたわ。



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