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下関 [デバサイのなんちゃって旅打ち]

 すでに、自分のブログに掲載していたと思うけれど

もう一度、あらためて思い出してみる。 

まだ、ぼんぼんだったころ。 

友人の高級車が家の横に止まる。

M氏とK氏。

あと一人は、関門海峡を越えたピンジャンの常連の学生。

M氏の後輩であるHくんだ。

そこそこ打てる人間のほうが楽しいよね。

M氏にそう言われて、高速を使い関門海峡を越え

下関の町へ突撃。

パチンコ屋で、フィーバーを打っているHくんを 回収して対局開始だ。

赤ナシなので、そんなに大きくは動くことはない。

せいぜい30000円くらいなものだ。

半荘も10回くらいしか打たないわけだから。

Hくんは、ピンフをダマで和了したり、 

チートイをダマで和了したり、とにかく丁寧。

私は、よくわかんないので、いつも通り打っていた。

「負けてお金を払うことはいやざんす」

どこまでも、これだ。

勝ってもいらなから、負けても払わない、こんな理屈がとおらないかなあ、

そんな風に割といつも本気で思っていた。

仲間内で100円はイやざんす。50円がいいざんす。

そんなことは、日頃からして冗談でも言えない。 

四五六六八

こんなカンチャンのドラ1の手をリーチ。

七を一発でツモって、裏が六ワンで、6000オールの3枚。

対局のあと。 

こんな私のツモ和了に、 「何故リーチなのですか?」と問うHくん。

「いや、五を引くのも七を引くのも確率一緒だし、四を引いて

ダマでどうしよう、とか、迷うの嫌だし、六2枚使っているし・・」

と、あたおたしながら、話すと、

「なるほど。」と大きくうなずいている。

Hくんもリーチ打てばいいんやない?

まったくオリルつもりはないけどね。

 そう心の奥底で思った。

だって、まず、他人の麻雀にどうこう口出しすることは御法度だし、

Hくんが強くなると、私が負けてお金払わなきゃいけなくなると嫌だし。 

その当時の私は、自分で諦めて「自分の和了」を逃すことが

一番イケナイコトだと思っていた、そんな時代。 

その日、Hくんはめっさ負けていた。

帰りの車中、私がうっかり

「あんなに負けてもけろっとしちょるってことは

パチンコで勝っちょんやろうね。~」

みたいなことを、こぼしたなら

先輩のM氏が鬼のような顔で、私を睨んだ。

「本当に、そう思うんね? そんなわけないやろ、

負けて悔しくないヤツがおるんね?

あいつには、博打で負けてどんなに悔しくても

自分の部屋に帰るまで、我慢しろ、と言ってある。

正直、あいつ、麻雀に自信があったから、そうとう悔しかったと思うよ。

でもね、そういうのがないと、強くならんのよ。

ぼやいて、愚痴れば、その痛みがぶれるから。」

私はそんなものかな、と思った。

負けることもあれば、勝つこともある、それが博打でしょ。

そういう博打のくやしさと、麻雀のくやしさは違うと思ったけれど、

H君に対して、H君のいないところで、

H君の麻雀の結果を軽んじたことは、反省した。

そのあと、H君が大学を卒業して田舎へ帰るまで

2年ほど、その下関のピンジャンは月1回くらいのペースで続いた。 

25年くらい昔のハナシだ。 

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