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どうせ、賭かってないのだから。 [雑記]

麻雀をへんに勉強してしまって


めくりあいの楽しさなんてもの


久しく忘れてしまってる気がする。


テンパイを大事に、突っ込んでみたとして


それで、少し違う麻雀を知ることができるかも。


魔が差した、というやつだろうか・・


 ::::


「東ラス 37000点持ち!


入られますか?」


持ち時間も少なく、打てて3回かな?


と思っていたので、


こころよく卓に入ります。 


途中からのゲームであったとしても!


そこからは、ワイのターン!


ちゃんと打つでござる。


トイメンの若者。


嬉しそうにリーチを打つ。


めいっぱい麻雀を楽しんでいる。


一発目の彼のツモ。


三ワン。


「うをっ!」


みたいな感じでツモ切る。


むむ。


これは、マンズ待ちの可能性大!


マンズは切れないよね。


こういう「ツモってくる牌への反応」は「ない」


に越したことはないけれど、


若者もわざとやってるわけじゃない。


そういうところも合わせて


楽しんじゃえ。


巡目がすすむ。


全体の捨て牌。


4人分の捨て牌を一枚の絵のようにして眺める。


むう。


マンズの上だけがえぐり取られている・・・


そんな感じの様子・・・。


先制若者リーチの通っていないマンズは・・・


五 八!


六 九!


この二つ。


終盤。


若者のリーチに上家が五ワンをお切りになった。


2分の1!


2分の1を押したんですね?


そういう感じが楽しい麻雀なんすね!


オケイっす!


で、その同巡。


五七九334455⑥⑥⑦⑧⑨


3ソウを引いて、このテンパイ。


残りのツモは2つ。


若者先制リーチの待ちは六九に確定。


マンズの上が高い場の状況。


上家が五ワンを切った理由。


五七九334455⑥⑥⑦⑧⑨


それらを考えると五ワン切りダマだ。


八ワンが牌山に残っている可能性は、限りなく低い。


リーチ棒を出すこともデメリット。


残り2巡とはいえ、若者と上家の横移動もある。


・・


このまま、ダマとか面白くないな・・・。


やさぐれた気持ちが首をもたげる。


てんぱってるんだし、もうリーチでいいんじゃね?


どうせ、振り込んだって、ノーレート。


財布から出ていくのは、ゲーム代だけだもん。


痛くも痒くもないんだし。


遊びだろ?ゲームだろ?


じゃあ、楽しけりゃいいじゃん。


3軒リーチ、めくりあいのほうが、楽しいじゃん。


そんな思考がしっかりと脳内をよぎる。


まだ、親番もあるしね。


おまけの感情もついてくる。


五ワンを切ってリーチ!


場が緊張感に包まれる。


これよ!これこれ!


そうして、もう一度全体の河を見る。


マンズの上。


マンズの上。いるはずない・・・


七九334455⑥⑥⑦⑧⑨


一発目のツモ 六ワン


「あ!」


当然トイメンにささる。


ダマにしていたら、さすがに止める牌。


結局、その半荘は、3着。


その次の半荘も3着。


賭けてたなら、5000円くらい払うことになっていた。


ノーレートだから、ゲーム代800円で済んだ。


ああ、よかっっ・・


・・・・・


良くない。


良くなかった。


今週のマガジンの「はじめの一歩」くらい


「やってはいけないこと」をやってしまった。


まず、ゲーム代800円


これは、完全に無駄になっている。


だって、自分が打っていたものは、


自分の気持ちや麻雀をおもちゃにした「矛盾」


ポンじゃんゲーム。


時間2時間。


これも完全にどぶに捨ててる。


そして、一番大切なこと。


麻雀と同卓者を貶めている。


どんなことがあっても、


ふわふわした気持ちで、いい加減なことをしてはいけない。


そんなことわかりきっているのに。


賭けてないと、ちゃんと打てない。


痛みがないと、ちゃんとできない。


これは、「ちゃんとしてない」ことの何よりの証拠だ。


この場の状況が、マンズの上が残っていそうで、


他家の待ちがマンズではない可能性がある、というのであれば


ハナシは違う。


実際は、マンズの上が残っていなそうで


先制リーチの待ちが、ほぼマンズだ、とわかっている、


という真逆の状況。 これを裏切る打牌は


対人頭脳ゲームである麻雀とは言えない。


もう30年近く昔の話。


自分が、麻雀を覚えた昔は、ノーレートなんてなかった。


賭けない麻雀なんて、なかった。


負けて心の中で泣きながら、お金を払ったし


勝って、卑しい気持ちで財布にお金を入れた。


しみついている。


だから、どこまでいっても、こころのどこかで賭ける麻雀への


置き換えが行われる。


まるで、呪いのように。


賭け麻雀を知らない人たちがうらやましい。


賭けないとちゃんと打てない。


は、


お金をもらえないと働かないよ~


罰を与えられないと、働かないよ~


とか言うのと似ていて


非常に、下卑ている、と思うのだ。


麻雀を舐めている自分を


心底睥睨しながら、


「ちょっと、麻雀牌に近づけない」


そんな気持ちで目を閉じ、瞑想するばかりだ。


ちゃんとしないと!


と思わなくても


ちゃんとできるように。


そうならないと、


きっとどこまでも、どこまでも、


偽物のままなんだ、と思う。


 



posted by ゆうゆう at nice!(0)  コメント(0) 

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